期間工物語 第五話

期間工物語

僕らが配属されたのはS481-二輪組立てモジュールと呼ばれる部署で、その名の通り二輪車、つまりバイクの組立てをする場所である。一般的にライン作業というとベルトコンベアーに乗って流れてきた部品をレーンの脇に立っていそいそと加工するものと想像しがちだが、この二輪組立てモジュールは違った。宙吊りなのだ。組み立て中の二輪車がレーンに吊るされながら流れてきて、中空に浮いた状態で作業する。

それだけではない。このラインは一定の速度で移動するのだが、一人当たりの持ち場が23mは設けられていた点も想像の埒外だった。なぜそこまでスペースがあるかといえば、動きながら作業をする必要があるのだと後に気付くが……何にせよライン作業=立ち止まってやるという僕の中での常識が根底から崩れ去った瞬間であった。

「あちゃ~、ここ、ハズレとちゃうん」
「……?」

初めて現場に見学に行った際、思わずそう呟いた野呂さんの気持ちがわかってきたのは工程訓練を重ね多少なりとも作業の要領がわかりかけてきた頃だ。

当たり前の話だが、この工場のラインの全てが宙吊り形式というわけではなく、このS481部署はたまたまバイクのシャーシ下部分の作業が多いためそうなっているのだろう。見れば隣の部署では普通にベルトコンベアーに乗せられたバイクが流れている。恐らくバイクの上部分、つまりハンドルやボディ上部を仕上げているのだろうが、素人目にも宙吊りのバイクを見上げる形で作業する方が困難だろうとは嫌でも想像がついてしまう。

入社から三日ほど経ち、いよいよ工程訓練も佳境に差し迫ると本番のラインで実際に作業の練習に取り掛かる事となった。

「最初はちょっと厳しいと思うが、なあに、戸邊は若いからすぐ慣れるさ」

指導係兼現場の係長である田原さんがお気楽そうに言ったが、正直とても出来る気がしなかった。新入社員組は皆同じ気持ちなのだろうか、改めて宙吊りラインの前に立つと暗に目線を合わせて苦笑い。

「とりあえず戸邊は……これやってくれ」
「はあ」

初めのうちはさすがに全ての工程をこなせるはずもないため一つずつ……例えば流れてきた“シャーシの骨組みにラジエーターボックスを取り付けるための金具を止める作業”などをラインの速度に合わせながら行う。通常はそれにプラスしてあと三つか四つの作業があるのだが、それは現在その場を受け持っている人がやってくれるようだ。つまり、しばらくはサポートがついているからその間に仕事を覚えて一人で出来るようになれという事でもある。

 (一体どれぐらいで独り立ちする事を想定しているんだろう?)

記念すべき初ライン業務。まずは今後自分に割り振られるであろう持ち場の工程の一つである「サイドスタンド部分のナットをレンチで締める」という作業だけを体験したが、実際にやってみると外から見ているよりもずっとラインの動きが早く、気付けばあっという間に後ろの人間の持ち場まで流されていた。

「すすす、すいません」
「んー、大丈夫。慌てずにね」

優しい言葉をかけてくれてはいるが、後ろの人間のスペースを侵すという事はそれだけその人の作業時間が減るという事でもある。するとその遅れはさらに後ろの人間に伝わり、気付けばどんどんどんどん遅れが膨らみやがてラインは破綻をきたす事は必然。また、それだけでは済まずにもっと直接的に次の自分の作業……つまり、先ほど必死にやって流された作業をまた、しかも今度は遅れた分だけスタート位置を後ろにズラして始めなければならない事になる。自分だけならまだしも、他人に、ライン全体に迷惑をかけていると思うと余計に焦る。焦れば焦るだけ作業は遅れる。負のスパイラルは留まる事を知らない。

だがそんな見知らぬ誰かの苦労などどこ吹く風で、ラインは無慈悲に、延々と一定間隔でバイクをただ流すのみである。

 (ちょっと待てやこのクソラインがっ)

一度遅れると取り戻すにはその倍の労力を必要とする。この負のループに陥るともうどうにもならなかった。

絶望すべきは本来ならあと三つも四つもやらねばならない事があるという点だ。たったの一工程、レンチを締めるだけでもたつく自分は本当にやっていけるのだろうかと今にも逃げ出したい気持ちで一杯だ。というか、無理だろ、これ。

「なんだよ情けねえな」

そんな僕の憤りを、傍で見ていた田原さんが笑い飛ばした。

「ちょっと貸してみ」

そう言って代わりにラインへ入るも、先ほどまでの大口はどこへ行ったのやら、全く工程を消化出来ずにすぐさま後方へと流されていった。

「いや、俺最近ライン入ってなかったけど、こりゃキツイな」
「はは……」

苦笑いするしかない。こうして地獄のライン生活が幕を開けた。

 

第六話へつづく。

 

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