その頃金の無かった僕は、しかし希望に満ち溢れていた。早番が6:30~15:15まで、遅番は15:05~23:30という二交代制の職場だったため思った以上に時間に余裕が出来る。ましてや独り身、誰憚ること無きビジネスホテル暮らし。
初めこそ疲れてすぐに倒れるように寝てしまっていたが、気付けば数日もしない内に身体は慣れて、次第に周辺を散策するようになっていた。
その頃金の無かった僕に、行ける場所なんてたかが知れているけど、知らない町をぶらぶらと歩く。どこまでも続く自衛隊基地のフェンス。外国人だらけの団地の一角。いくらでも時間を潰せそうな大型書店。地元で見た事もないパチンコ屋のチェーン店と、見るもの全てが新鮮に映った。独りという環境を通したフィルターでは全てが可能性のかけら。どこへ行ったっていい。どこへ行かなくてもいい。全てが自分の思いつきで決まる。例えば身近なところで今日の夕食、それを考えながら歩くだけで胸が高鳴る。
ほどなく川沿いの住宅地に埋もれるよう佇む神社を見つけ、なぜだかノスタルジックな思いに浸りわけもなく通うようになった。小さな鳥居と小さな社。季節は初冬、寒空の下だというのに暇さえあればそこにいた。立派な大木の傍にある赤い塗装の剥がれかかったベンチで、一体僕は何を待っていたのだろう。
疲れてはいたけれど、金はなかったけれど、自由だった。
やがて辺りが暗くなる頃、世界の黄昏に押し出されるように神社のベンチを後にする。後年、何度かその神社に足を運んだけれど、どうしてあんな場所であそこまで浸れたのか不思議なぐらいであった。若かっただけなのか、それとも…
帰り道に近所のスーパーに寄っていくのもいつしか決まったルートになっていた。黄昏に押し出されていたわけじゃなく、値引きシールを待っていただけなのかもしれない。
と言うのも、ビジネスホテル組は食事代の1000円が毎日支給される代わりに自分で夕食を用意しなければならない。だがその支給額は給料に上乗せされるため給料日までは相も変わらず素寒貧のまま。残金はそろそろ一万五千円を切りそうな頃。これであと半月近く食いつながなければならない。
夕食に何を食べるとか、夢想するのは自由だけれど現実は一袋六個入りのバターロール。そいつを毎日二個か三個かじるだけだった。それも賞味期限が近づいて3割引きとかになっている見切り品である。
ケチなホテルのバイキングに並んでいそうな小さな小さなロールパンを、ハムスターがひまわりの種をかじる様に後生大事にカリカリカリカリ。表面が固くなったぐらい乾燥させた状態が好きだった。隙間風の吹くビジネスホテル、冬場は望まずともすぐにそうなる。カリカリカリカリ。その表面を剥がして出てくる蚕の繭のような部分も好きだった。だから僕は皮だけ先に喰う。
そこに2リットル150円ほどで売られているウーロン茶のペットボトルを置けば誰憚ること無きご機嫌な夕食。
激務に耐え、食べたい盛りの若者がよくこれで持ったものだと今にして思うが、あの頃はこれを全く苦痛と感じていなかったのだから不思議である。ましてやそれがいい思い出にさえなっているのだから…
すきっ腹で迎えた朝は、毎度の5時55分のgasu OneのCMと共にやっと治りかけてきた、それでもまだ痛いバネ指の症状に耐えながらウーロン茶のペットボトルを開ける。寝惚け眼で夜のうちに惣菜屋で購入しておいた一個85円のおにぎりを頬張りつつ工場へと出かける。この惣菜屋は静岡県では割と有名なチェーン店で、会員になればおにぎりが85円になる。非会員だと125円、コスパに優れて味も悪くないおにぎり。会員になるために断腸の思いで支払った105円に後悔はない。
目の覚めるような寒さの中、頭の中では先ほどのCMが延々とリフレインしている。二個目のおにぎりを食べ終わる頃には正門へと着いている。
遠州の空っ風と称されるように、この時期の浜松は風が冷たく、そして強い。
バネ指に加え、かじかんだ手でしばらく覚束ない作業を繰り返し、一時間もしない内に頭の中は昼食の事で一杯になっていた。HONDA浜松の食堂の飯はかなりうまい。後払いだからサイフを気にせずここで一日分の食欲を満たすのだ。
第八話へつづく。
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