期間工物語 第十四話

期間工物語

さりとて数万円程度では日常はそう変わるべくもなく、それでも日々の食費にすら窮していた男がその心配をしなくて済む様になったのは大きかった。次の休日に何をしようか、それを考えるだけで高揚した。

選択肢が増えることで、これまでとは視界さえも変わってくるらしい。

道端に一軒の雀荘があった。毎日通勤で通る道の小脇に店の規模とは裏腹に大きな看板が出ていたのだが、なんにせよ金の無かった僕は視界に入ろうと今までは気にもしていなかった。だが小金ではあるがともかく種が出来た今、狂おしいほどに亡国の遊戯に心が惹かれた。これでも麻雀の心得は多少あるつもりだ。

高二で覚えた麻雀はすぐに仲間内で敵無しになっていて、程なく学ランを着て雀荘に行くようになっていた。それにしても普通、駅前の大型チェーン店ならともかく、場末の個人経営の雀荘など怖くて入れないものだろうが、この時ばかりは抑圧され続けた想いが勝ったようだ。後々振り返るとすぐ近くにもっと流行っている大きな店はあったというのに、この時どれだけ周りが見えていなかったのか…若さと初給料は無謀に追い風とも言えようか。


ともかく、こうして平時では絶対に入らないような扉を開けたのだ。

 「え、なになに」

玄関すぐのカウンターに腰掛けていた店主が驚いた顔で僕を見る。見ない顔の客に驚いたというより、もしかしたらまだ店が開いてなかったのかもしれない。そういえば看板らしきものがあったかどうか…。現在時刻は十六時ちょっと。仕事終わりに寄ってみたのだが客が一人もいない状況は寒々しさを越えて不思議ですらあった。

 「ごめんなー、昼はいっつもこんな感じでな。もし兄ちゃんさえ良かったら今晩メンバー揃えてみるけど?」
 「……あ、はい」

正直、この時点で嫌になっていた。だってメンバーを「揃える」と言う事は、即ち常連客やら知り合いやらを呼ぶという事じゃないか。それって完全に仲間内の麻雀に部外者の僕が混ざるという事である。

僕の知っている雀荘という商売は、メンバーと呼ばれる従業員が常に三人いて、一人で客が入ってもすぐに卓が立つというものだった。麻雀は特殊な状況を除いて四人いないと始められないため、客が待たないように打ち子を揃えておくのが店の最低限の義務であると認識していたのだ。

が、これについては当時僕が大きなチェーンしか入ったことが無かったため驚きだったが、地方の場末の雀荘なら珍しくもない事らしい。常時三人のメンバーを遊ばせておくのだって人件費を考えたら大変な事だ。個人で、それも地方の郊外でやっていく事の大変さは今ならよーくわかるのだが、当時の僕にはそこまで頭が回るはずもなく…

 「どうする?」
 「じゃあ、お願いします」
 「兄ちゃんも好きだねぇ~」

乗りかかった船である。目の前でメンバーを集めようと電話する親父の行為を無碍にするわけにもいかず、そして何よりその他一切の感情を抜きにとにかく麻雀がしたかった。今の自分には勝負事をするための資金はあるのだ。

やがてメンバーの目処がついたらしく、二時間後にもう一度来てくれと言われホテルへと一旦戻った。どうやら常連達の仕事が終わりメンバーが集まるのがそれぐらいになるらしい。こちらは客なのにメンバーを揃えて貰った負い目のようなものが早くも出来てて何だかなーと思いつつも、しばらくぶりの牌の感触にドキドキしている自分もいた。

念のため、ポケットには使える金額のMAXである五万円を突っ込んである。帰りに遊べる額の全てを降ろしてきたのだ。レートはそこまで高くはないが、正直何があるかわからない。もしかしたらメンバー全員がグルかもしれない。─そう思うなら行くなって話なのだが…

見知らぬ世界に対する不安と、まだ見ぬ世界に対する期待を半々に、僕は場末の雀荘へと向かうのであった。


第十五話へつづく。

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