中原さんが株で病み始めたのをきっかけに、いつもは彼が率先して引き受けてくれていた残業が最年少の悲しさ、僕へと回ってくる羽目になった。株で相当やられていたようだし、とても残業で小銭を稼ぐ気分ではなくなっていたのだろう、仕方が無い。
(というか、残業なんてあったんだな)
実は今までこの職場に残業があるという事さえ知らなかったのだが、一応工場ライン勤務にも残業は存在するのだ。ただしそのままラインに残って仕事をしろというわけではない。そこはさすがに世界のHONDA、早番・遅番で人員をたらいまわしにするなどといったお粗末な事はないし、そもそもそれが出来ないようにきっちりシフトが敷き詰められている。
残業の内容はライン外で行うもので、ずばり業務で使う部品の加工であった。
例えばスタンドの足場部分を取り付ける作業を当時僕は割り当てられていたが、取り付けると一言で言っても、まず部品Aと部品Bを金属製の細長いピンで繋ぎ留める作業があり、それを組み立てたものを改めてスタンド部分に取り付ける事となる。言葉で書くと単純な作業だが、これが案外細かい作業で急いでいると部品を落とす事もしばしば、思わぬ時間を喰ったりする事もあるのだ。
そんな時、予め組んでおいたものがあると大変助かる。
一つ辺り10秒程度の短縮となれば、結構な遅れを取り戻せる計算だ。そういう細々した細工とでも言えばいいのか、部品同士の連結が業務の中には結構あって、実際ぼくのこの作業は該当しなかったが、似た様な場面はそこらに転がっているのだろう。
恐らくこの残業はそういう目的でやっているはずだ。断言できないのは自分が他の人の工程を知らないからであるが、まあ概ねこの推論は正しかろう。
「おー戸邊、悪いな。じゃあこれ頼むよ」
班長の飯尾さんは引継ぎでもあるのか、僕に大雑把な作業の説明をすると忙しなく駆けて行ってしまった。業務内容は『ボールベアリングにグリスを塗りだくる』という大変厳しいもので……
(それだけで時給1500円かよ)
車軸か何かに使うのだろう、牛乳瓶の蓋ぐらいのドーナツ型のボールベアリングを棒に十数個刺し並べ、その棒を片手に持ち……その様はちょうどケバブを切る様とそっくりなのだが、ベットリと満遍なくグリスを塗っていくと最後には本当に細長いケバブのようなものができあがる。ベアリングは無限に用意されているので、大量のケバブを量産していくのだ。
ちなみにノルマなどは一切ない。逆番の人らのライン業務を眺めながら、そして座りながら出来る上、残業代も1500/hと決められていて今にして思うととんでもなくおいしい業務である。
また、特に人数が必要な作業でもないため基本は先着一名。今までは中原さんがその座を独占していたのだが、これを放棄するぐらい病んでいたのだなと思うと痛々しい限りであった。
第二十話へ続く。
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