期間工物語 第六話

期間工物語


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痛ッ…!?

5時55分、烏龍茶のペットボトルの蓋を開けようとしたとき、痛みで一気に目が覚めた。

右手の指が開かない。

第一関節、第二関節ともに何かを握ったような形のまま丸まっていて、それはあたかも昔見た野口英雄物語の漫画の一シーン、幼き日の清作(改名前の名)が左手に火傷を負って指がくっついて開かなくなってしまう場面を連想させた。

後にこれこそが期間工が最初に陥る試練の一つ、「バネ指」という症状と知るのだが、そんな知識もなかった僕は懸命に右手を揉み暖め、激痛に耐えながらようやくペットボトルの蓋を開ける。

工程訓練を終え、現場に入って3日目の事である。

 「あー、わたしも最初の頃あったよ、腱鞘炎の一種らしいけどバネ指って言うんだってね」

職場につくと、ラインを挟んで向かいで作業をする大森さんが笑い飛ばす。彼女は工場内でも珍しい女性社員の一人で、各部署に一人か二人しかいない貴重な存在……と言いたい所だが、この部署にはなぜか女性が二人いて、大森さんはどちらかと言えば弄られる方の三枚目キャラで豪快な笑い方が印象的な人だ。

一般的にこういう男職場内での女性社員はどうしたってチヤホヤされがちで、それは工業高校のクラスに数人しかいない女子が超絶イケメンと不釣合いとも思えるカップルを成立させるように、需要と供給の必然でもある。が、どうしたことか大森さんにその気配は見られなかった。もう一方の女性社員は後にこの部署のリーダーと結婚するのだが……。まあ、そういう感じのキャラだったと思ってもらえるとわかりやすいと思う。サザエさんで言うところの花沢さんだ。

さてこの花沢さ……もとい大森さん。ライン作業には特にペアという考え方はないのだが、バイクを挟んで作業するため助けたり助けられたり、傍にいる人間とはどうしたって関わる事になる。また、持ち場が設定されてる以上基本的に一日八時間近くの作業の中で話し相手は近場の人間に限定されるのだ。大森さんは女性と言う事もあり特に喋りたがりで、歳も若かったため─たしか22とか23だったか─、親しくなるのに時間はかからなかった。僕らの後ろで作業をしている向かい合っての二人が両方ともに変人のオッサンだったというのも大きいだろう。ちなみに彼らの間にはほぼ会話は無かった。

 「まあしばらくすると慣れてくると思うよ」
 「筋肉痛みたいなもんなんスね」

やはりというか、バネ指とはインパクトの連続使用による腱鞘炎の一種なのだそうだ。

インパクトとは電動ドリルを少し大きくしたような工具で、ボルトを締めるのに使う組み立て作業のメインの工具の一つだ。これはここに配属される前の工程訓練でも使ってはいたものの、ラインに追われる事なくのんびりと使っていたので今日まで症状が出なかったという事なのかもしれない。

実際に現場で使うインパクトは工程訓練のときのものよりも随分大きく感じる。そして一番の特徴と言おうか、それは底につける電池パックのようなものを電源とせず、天井から伸びたコードに直接繋いで電力を受給している点だ。

このコードはバイクを吊り下げているラインの横に備えられた専用レールのようなものがあるので移動させる事が出来る。つまりインパクトをある程度移動させる事は出来るのだが、引っ張るのに多少力が必要で、それでいて身体やバイクにコードが絡まる事も気をつけながら作業しなければならない。

初めのうちはラインに流されながらの作業になるため、コードを伸ばしつつ無理な角度でインパクトを使用する事が多かった。こういう無駄な力を入れて作業をする事がバネ指の原因になるらしく、この一点に措いても慣れない作業を始めたばかりの期間工初心者がバネ指になるのは必然ともいえよう。

 (…痛っッ)

結局この痛みは一週間ほど、徐々に慣れてくる形で治まっていくのだが、しばらくは朝起きてペットボトルの蓋を開けるのが本当に怖かった。

さらに言うと、目を覚ますと同時につけてたテレビで555分前後に必ず流れていた「gas One」という会社の「ガスガスフルフルガスワンダフル~♪」というCMの音楽があったのだが、それは痛みと一緒に記憶されたらしく、さながらパブロフの犬のようにバネ指が治った後もしばらくは聞くと不安な感情に包まれたものである。

第七話へつづく。

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