いっそう、より一層風が冷たく感じるような、そんな寂しい町である。通行量こそ多いが誰も立ち止まらない、通過点のような町。近くに自衛隊の基地があるせいか常時飛行機の離着陸時の凄まじい轟音が辺りに響いていた。
基地からそう離れていない、大通りに面した寂れたビジネスホテルが今日から僕のネグラとなるらしい。通過点の町で、人生の通過点となる刻を過ごすのだ。だがここに至り、スポーツバック一つで飛び込む未知の世界に不安よりもドキドキが勝っていた。とにかく始まったのだ。この先にある無限の自由のための闘いの火蓋は切って落とされたのだ。
「あ…お世話になります」
心底やる気のなさそうな受付のおじさんへ赴任証明書と形ばかりの挨拶をする。こういうときは手土産でも必要なのかもしれないが、当時の僕にはそんな社会常識は一切ない。おじさんはそんな世間知らずの若造を一瞥すると「はいよ」と一言だけ返事をする。渡された鍵には206号と刻印されていた。詳しいことはこの紙を見てくれと渡された一枚のプリントには『共同生活のマナー』と銘打たれたこのホテルでのルールが書かれている。なんでもここはビジネスホテルとは名ばかりで、普段一般の客はほとんど泊まる事もない本社と専属契約を結んでいる場所らしい。本来別の場所にちゃんとした独身寮があるのだが、増産で期間工を大量に雇い入れる時期は人がいっぱいでこういった場所を利用する事もあるらしい。
寮と違う点と言えば食事が出ない事ただ一点である。その関係でビジネスホテルに配属された期間工員にはビジネスホテル手当てと称して一日辺り千円が給料に加算される。僕はこの点でビジネスホテル暮らしを大いに歓迎していた。こんなボロホテルに泊まる事など苦にならない、そもそも苦を考えたらこの町の全てが苦の要素になり得るとも言えなくはないのだ。ならば早く出て行ける条件はどんなものであれ喜ばしい。僕はここへ種銭を貯めにやってきたのだから。
三階建ての古びたビジネスホテルにはエレベーターなどという洒落た設備はついていない。錆びた鉄柵を伝い階段を登り二階へと進む。踊り場を越え饐えた臭いを醸しだす絨毯が敷かれた廊下へ出たら、薄暗い照明を何個かやり過ごすと206号室と書かれた無愛想なドアが見えてくる。ここが今日から僕の部屋、記念すべき初めての一人暮らしの部屋。開けると黴臭いような湿気っぽいような、ムワっとした嫌な空気が外へとあふれ出し、それから薄暗いだけの空間が迎えてくれた。
(こんな狭い空間で人が生活するのかッ!?)
第一印象は最悪だった。絶句しながら部屋へと入る。ドアを開けてすぐ横にユニットバス、そのユニットバスのドアと玄関のドアがギリギリ開け閉め出来るだけの最小限のスペースを挟んで奥に三畳ほどの空間が広がっている。そこにはベッドが一つ置かれて対面に小さな据え付けのテーブル、その上には小さなテレビが乗っている。テーブルの前の壁には小さな鏡が備え付けられているぐらいで、驚くほどに無駄な空間は無かった。スポーツバックをベッドの脇へと放り投げると、それだけでもう足の踏み場も無い。ビジネスホテルという寝るためだけに特化した形態の部屋は初めての経験であったが、それにしても狭い。これまで何度か親族旅行などで大きな旅館に泊まった経験のあった僕にはそれは一種のカルチャーショックであった。
今にして思うとこれはビジネスホテルの中でも下の下の物件だったと思うが、どうせ半年足らずの辛抱だ。一日千円のビジネスホテル手当てを思えばすぐさま部屋の狭さも気にならなくなっていた。
第四話へつづく。
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