期間工物語 第二話

期間工物語

  「一緒に期間工行かねーか?」

誘ったのは僕である。ちょうどその頃、一緒に燻っていた友人の伊佐美にも声を掛けていた。自分は専門学校を中退していたが、伊佐美は高校を中退している。この伊佐美とはガキの時分からの付き合いで、良くない遊びは大体こいつが教えてくれた。元はと言えば自分に専門学校を中退するきっかけの一つとなったパチンコを教えたのもこの野郎だ。こうなった以上は運命共同体のような気持ちもあるし、それに得体の知れない期間工と言う職業に対する不安を何とか友人を連れて行く事で紛らわしたいという狙いも無いわけじゃなかった。まず赴任先からして家から遠く離れた場所になるらしいし、知ってる人間が近くにいるだけでどんなに心強いだろうか。

そこらへんの情報を集めようにも、期間工というキーワードで検索して辿り着いた某掲示板ではただただ不安を煽られるばかりであった。元々スロットの情報を得るために見ていた某掲示板。「嘘を嘘と見抜けない人は掲示板を使うのは難しい」というワードは有名すぎるが、そこには確かに現場で働く者たちのものとしか思えない罵詈雑言で溢れていて、しかし何が本当で何が嘘かはわからない。全てが未体験ゾーンである。工具の一つとっても名前すらわからない自分に、その場で語られている事の真偽を見抜く術はなかった。

まだググるという言葉が一般的に使われていなかった時代、今のようにブログ等で個人が情報を発信する文化も根付いていなかった。そのようなネット黎明期において、期間工の情報を集めるのは困難を極めたわけだ。

 (ま、なんとかなるべや)

後は野となれ山となれと、そこは若者特有の無知と怖いもの知らずで突き進むしかない。伊佐美にしてもこの提案は渡りに船だったらしく、快い返事を貰うとすぐさま我々は面接へと赴く事にした。

面接当日、さっそく若さを露呈させる形となった。

静岡駅の近くにある寂れたビジネスホテルの貸し会議室で行われた集団面接に赴いたとき、我々二人はそれを痛感せざるを得なかった。会場に集まった面接希望者の中で自分と伊佐美、二人だけがスーツ姿なのである。

見渡せば面接希望者は三、四十人程だろうか。右を見ても左を向いてもくたびれかかったオッサンばかりで、当時まだ二十歳にもなっていない自分と伊佐美は会場内で相当浮いていた。その上でスーツ姿である。恥ずかしさを通り越して、滑稽ですらあった。

だが、それは当事者である自分たちの感覚であって、その事が面接官に良い風に取られるか悪い風に取られるかはわからない。そもそもどうでもいいのかもしれない。

基本的に企業が期間工を募集する際は人手が欲しい繁忙期がほとんどで、相当な事がないと面接では落ちないとは某掲示板にも書かれていた。前科も無く健康であればまず通るだろう、とも。企業によっては借金の有無なんかも聞かれたりするそうだが、今回受けたHONDAにはそれは無かった。志望動機すら聞かれず、「期間工の経験はあるか」「いつから入れるか」「健康面での不安はないか」「入寮希望かどうか」などの当たり前な質問を受けただけで、一応簡単な筆記試験はあったものの、あくまでこれから配属されるであろうライン作業をする上での最低限の判断力・集中力を見るため程度のものであるのは明白だった。なぜなら問題が数を数えたり同じ記号を探したりと、小学生でも出来るようなものばかりだったのだから。

強いて言うなら、やたらと「キツいけど大丈夫?」と聞かれたことぐらいだろうか、気になったのは。

……だからこそ、後日伊佐美が落ちていたと聞いたときは耳を疑った。まさか学歴が問題になったとも思えないし、何なら直前になって気変わりした伊佐美が自ら面接に落ちる努力をした可能性の方が高いぐらいであるが、今さら何を言ってもどうしようもない。

こうして僕は、面接から一週間後、図らずも一人で見知らぬ土地へと赴任する事になったのである。


第三話
つづく。

コメント